寿命
- saharaisayo9
- 4月9日
- 読了時間: 9分

載せる絵が特にない
そういう時もあるんでしょう
他人事ですね
これ大阪行ったときに撮影した猫
壁に出来た影を、何かの大きな虫と勘違いして怯えたりする
何に対してこんなに腹を立ててるんだろう
何がそんなに気に入らなくてムカついてるんだろうとふと思います
毎日毎日何かに腹を立て落ち込んで泣いていたりする
前は、プロに仕事の熱意や向き合い方をインタビューするような番組が好き
だったけど、いつの間にか見れなくなっていた
なんでかって考えると多分、「後出しじゃんけんに感じるから」だと思う
過去に何百万という借金があった、会社がつぶれそうだった、
でも今は生活できているじゃないか、とひねた見方になってしまう
無敵になってから、誰からも攻撃されない場所にたどり着いてから、
そういう話をしだすのなんかずるくないか、と思ってしまっていた頃がある
「自分も辛かったからあなたの気持ちは分かります、でもいつかきっとしあわせになれますよ、私のように」
って言われても、無責任だなこいつとしか思えない感じ
いわゆるサクセスストーリーが苦手になってしまったんだと思う
世間でいう成功者と呼ばれる人たち皆、最初から順風満帆なんて人いないと思う
その人にしか分からない苦悩や悲しみとか、人にわかってもらえない
自分にしか理解できない解像度の苦しみがあったんだろうと思う
私がなんとなく嫌だと思ってしまうのは多分、
「報われた苦労」を見ているのが辛いからなんだろうなと思う
精神的にひどくやつれていた時は、そういう目でしか見ることができなかったです
そりゃあいくらだって言えるじゃないですか、
お金が無くて辛かった話も、貧乏体験も、報われた経験なんだから
みたいに、そんな見方しかできなくなっているのが嫌で、
人の体験談を見るのが辛い時があった
かといって、不憫自慢というのも辛いものがあるのは事実
随分前、今まで受けた辛いことをエッセイ漫画にしてみればいいのではと
言われた事があったけど、
それって要するにかわいそうな自分を売り物にするっていう
ある種の自傷行為だよなと思ってやらなかった
1つの商法として成立している物でもあるし、全否定はしないけど、
自分にはできそうにないなという話
じゃあこの陰鬱の塊みたいなブログはどうなんだよと言われたら、
何も言い返せないけど
人の痛みを知ってる人は強いというのは本当だと思う
でも、時にそれが傲慢さを感じさせる瞬間もある
お前の事分かってっから!辛いよな!自分もそうだったわ!
生きてりゃなんとかなっから!
って言われたら多分ブチ切れると思う
難しいね
かわいいキャラクターが、「生きてて偉い!凄い!」と励ますコンテンツが
ここ数年でめちゃくちゃ増えたような気がする
そのくらい現代人がほめてほしいとか自分を認めてほしいっていう
欲求に飢えているからなのかなと思う
自分もその中にいるのかもしれない
だけど、不気味さも感じる
この世の汚い部分なんて何も知らなさそうなキャラクターが、
生きてるだけで偉いとか、あなたはそのままでいいとか言う光景が、
物凄く怖く感じるときがある
本当はそんなこと微塵も思ってなさそうに感じる
小さなぬいぐるみを持ち歩く大人たち
それに励ましとか癒しを貰う
それを子供みたいってバカにする人がいる
皆自分なりに心のよりどころを作ろうと一生懸命なんだよなと思う
自分は自分とかあなたらしくって謳う広告とかを街中で見かけるたびに、
呪いをかけられてるような気持になる
それが分からないから、自分らしさだと思って守っていたものが
実はそうじゃなくて、他人を不快にさせたり実を結ばなかったから辛いんだよって
勝手に落ち込んでいる
街中すべてがとげとげしく見える
心配事の何割かは起こらないとか気にしすぎとか、
いちいち小さなことで悩んでたら時間がもったいないとか、
言われなくても分かっている
でも自分の心配事は、身内の死とか、自分の残りの人生とか、
限られている時間や逃れられない「現実」なんだよなって思う
人間いつか死ぬっていうのは誰もがそうで、
不死身の人間なんか存在しないし、
病気だって知らぬ間に体を蝕んでいるかもしれない
そういう現実さえ心配しないで生きろなんて言うのは無茶苦茶だろ
薬でどうすることもできない不安ばっかり
「思ってても言わない」人の優しさって凄いと思う
本当は色んなことを考えていても、反論したくても言わない
諦めとか出なく、その場を収束させるための手段を選ぶ頭の良さ
「言えない」人もいるけど「言わないほうがいい事を言う」よりはずっといい
大人になったら、自然と社会生活になじんでいけるんだと思ってた
子供の頃から、社会人になるのが恐くて仕方なかった
ドラマで見るような、オフィスで働く人の姿を見るたびに、
同じように生きている自分をまるで想像できなかった
今もそう
全然思っていたような大人になっていない
そもそもどんな大人になりたかったのかも、正直おぼろで覚えていない
依存先をたくさん持つのが心を安定させるコツだと何かで見かけた
私の場合は、色んな動画を見たり曲を聞いたりすることになった
でも、決して入れ込み過ぎないように、適度に好きでいようと思った
この世に存在するものすべて永遠ではないから、
万が一それが消えたり終わったりしたときに自分の心が折れ切らないように
適度な好きでいたいと思う
寄りかかり続けても怒られない場所、人、物、
あったら人生って楽になるんだろうか
そう思っている間にも、自分は知らずのうちに何かに寄りかかりすぎて、
それを潰したり殺したりしてるのかもしれない
そんなこと言い出したら、この世のものすべてとコミュニケーションが取れないし
本当の意味で一人になってしまう
だけどどうしようもない不安に駆られたとき、
そういった幻みたいな存在を求めてしまう瞬間がある
魔法の呪文とか妖精みたいなもの
無条件で叶う願いの裏には大きな代償があると知っているので、
妖精が出てきても頼らないかもしれない
ただ話し相手になってくれって頼むかもしれない
妖精にだって寿命があるのかもしれないし、家族がいるのかもしれない
知らずのうちに相手に依存を望もうとしている
恐い事だな
依存って人同士だけじゃなく物でも発生する
酒タバコ、食べ物、ギャンブル
体に悪いとされている物
だけどやめられない
単純に嗜好品としてたしなむ人もいる
だけど中には、病的な依存とか使い方をしたり、
それをネットにあげたりする人もいる
ある種のSOSだよなと思う
何も考えずにされた投稿かもしれないけど、
この人はもしかしたら泣きながらこの写真上げたんじゃないかなとか
勝手に推測してしまう時がある
なんて言ってるけど、私はカウンセラーじゃないし
専門的な勉強をしたことがあるわけでもない
その人に実際に声をかけたり手を差し伸べたりすることもできないし
したとしても本当の意味で助けることはできない、
物凄く無責任な人間だと思う
人生相談っていまやネットでも新聞でも雑誌でも、
色んな人がやっている
それらがどのくらいの本気度で向き合っているんだろうと思う時がある
相談内容の深刻さにもよるかもしれないけど
友達との他愛もないしょうもない冗談みたいな相談なら楽しいだけで終わるけど、
人生が関わるような、人生の指針がぐらついているような人の悩みを
受けたりするのって、受ける側に相当な知識が無いと難しいだろうと思う
ただ人に話したいだけとか、それだけでも気持ちが軽くなったりもするし、
相談する側もそこまで求めてないのかもしれない
だけど、お悩み相談っていうものが気軽に行われるのって、
なんとなく怖いなと思う
自分で自分に、辞めないでって声をかける
諦めるなって言うと機嫌が悪くなるのが分かっているので
この世が本当に少しでいいから、自分の思い通りに回らないかなと思う
部屋の電気を消して暗い空間で目を閉じる瞬間まで
本当に少しでいい
何がどうなったら幸せになるのか、なれるのか、正直分からない
ブログを書くのだって、かわいそうと思ってほしいからですか?と
聞かれたら、そうかもしれない
一人でもう抱えきれない執着や恨みや苦痛を細かく刻んで
ネットの海に流す作業をしている気持ち
無差別ボトルメールを流しているような感じ
もう駄目だなと思ったんです
毎日泣いてるのも刃物に動悸を覚えるのも普通じゃない
刃物をに手を伸ばして掴んだ次の挙動が本来の使い方じゃない
切ってはいけない何かを切ろうとしている
そういう思考で頭がいっぱいになっている時点で私はもう普通ではないと思った
子供の頃の、ただ楽しいから漫画を描いていた自分はもういないのかなと思った
小さい頃の自分が今の自分を見て毎日泣いてる
自分とのケンカが絶えない毎日の中で、
小さい頃の私がそれを見て大泣きしている
止めてくれる人も止める手段も分からない
絵に描けそうで描けない地獄
私の頭の中にしかないから、人に説明することも、理解を求めることも難しいし
ためらわれるような事が毎日起きてる
だからそれらをこうやって文章に書いてみる
キーボードを無心で叩いて、だんだんキーボードの位置を覚えてきて、
指の動きが早くなっていく
それに達成感みたいなものを感じたりもする
この世にあふれる自分を守る方法の中で、私は漫画とかブログとかを選んだんだな
共感を得られるとは思ってない
むしろ支離滅裂だしよく分からない事しか書いてない
だけど、こういう場所を作ることが、今の自分にできる防衛なんだと思った
孤島で座り込んで、どうせ助からないんだといじけながらも、
自分の気持ちを誰かに知ってほしいという衝動に完全に蓋をすることはできなくて、
思い立った時にこうやってネットの海にブログを流している
意味があるのかと言われたら正直回答に困る
少なくとも、私にとってはよりどころのひとつになってる
長い文章を書いたことによる達成感もあるかもしれない
自分の絵を誰かが必要としてくれるまで、
その力が付くまで、
折れませんように
寒い夜だな
四月さえ私に冷たい
悲しいね
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