痩せてる桜ばっかり
- saharaisayo9
- 4月10日
- 読了時間: 6分

春になって初めて、その辺に植わってる木が桜と気づく瞬間、
心の中の坂本九が上を向いて歩こうと歌い出す
なんか痩せてる桜ばっかりで、ブロッコリーのようにもさもさと咲いている桜の木って
よほどの観光地にでも行かないと見ることも難しいのかもしれないなと思った
ジャパハリネットの「星霜のさくら」を初めて聞いた時、
涙が止まらなかったな
思い出すだけで泣きそうになる
ネットに繋がらなくて試行錯誤してたら何とかなった
最近ブログ更新頻度が高いのは特に意味は無いです
急に更新しなくなるかもしれないし、
そういう時期なんだと思います
今から書くことはあくまで私がカウンセリングで言われた事なので、
これを見てくれた方に絶対当てはまるとは限りません
鼻歌程度に聞いてね
カウンセリングに行く前、専用のノートを持って行く
日記に近いかもしれない
なんか嫌だなと感じたら、何が嫌なのかを書いておく
嫌な事があったら、その嫌な事を書いておく
自分が不快に感じた事と原因を書いて、カウンセラーさんに話す
すると、それはあくまで症状であって、本当のあなたではないって話だった
誰かを傷つけてしまいそうとか、価値が無いと思い込んだりとか、
そう思ってしまうのは「症状」であって、「あなたの性格や人格」ではないということ
「何を言われても悪い方に捉えてしまう症状が出ている」状態ってこと
そういうもんなのか、と思った
薬を決められた数、てのひらにのせて、これは症状をよくするものなのかと思って
飲んでみる
別に突然体や心がヘリウムガスのように軽くなるわけでもウルトラハッピーになるわけでもない
ただ「薬をのんだ」事実が出来る
それが自分の中では安心につながっているのかもしれない
不安を感じた時に飲む薬と言われても、そんなこと言われたら毎日毎秒毎分心配だし
不安なんだけど、と思った
だから持ち歩く
運転を仕事にしている人に交通安全のお守りを渡すような気持ちで
それが今自分にできる最適なんだと思う
そうするしかできないんだけど、これでいいよと自分に言われる
本当にそうかなと焦らせてくる自分もいる
自分の中が何世帯住宅かになっていて、日によってドアを開ける自分が違う感じ
一日中窓も開けない奴もいれば、なんかずっと歌ってる奴もいる
いつだれが顔を出すのか分からないアパートが頭の中にある感じがする
多重人格とかそういう事でなくて、
その日の気分とかもっと適当なもので左右される、めちゃくちゃ無責任で曖昧なもの
気分とか機嫌って自分で取るものと昨今騒がれるけど、
そんな簡単にいかないもんだよなって勝手にムカついている
昨日だったか最近、鬱屈な気持ちをレポ漫画にでもすればいいだろって言われた話
したんですけど、
レポ記事とかって個人的に好きだと思うものとなんか嫌だと思うものがあるなと
ふと思った
個人的になんですけどね
でも、楽しそうな人のつぶやきとか見てると、いいなと思うし
試合かっこよかったとか見てると行ってみたいと思う事もある
その場で体験を得てきた人の記録って実際に他人を巻き込んでいくことがある
それでファンが拡大していって、って実例も実際あるだろうし
凄い事だね
本屋に入るのが苦手になった
今は前ほどじゃないけど、今でもちょっと動悸がして長居できない
何万レビューとか、何万いいねとか、帯で踊る文字が歪んで見えてくる
でも最近、ネットではねた漫画が本になる、みたいなムーブ減ったような気がする
知らないだけかな
古本屋は平気
新書が置いてある本屋さんはちょっと厳しい
この前用事があって立ち寄ったら、手が震えてめまいがした
こんなにか、と自分で驚いた
勝手に早くなる鼓動が恐かった
文字に踊らされ振り回されてる自分がバカみたいだなと思う
それも少しずつ、慣らしていく
自転車の練習をする子供が桜吹雪の中を猛進していたのを見た
なんか元気が出た
お父さんがつきっきりで、子供の自転車の後ろを手でこっそり支えて、
凄い凄い、一人で運転できてるよと言っていた
見えない優しい嘘に涙が出るような年頃になった
春の陽気に誘われて勇み足で歩こうとした矢先、花散らしの雨が降る
何かしようと思った矢先の障害物とかトラウマを何とかしたい
でも、何とかしなきゃと思いすぎないようにしたい
単行本になるっていうのが、どれだけ凄い事か痛いほど知った10年で、
好きですと言って貰えること、わざわざ手紙を書いてくれた人がいたこと、
それらも同じ10年の中で起きてたんだよなと思うと、
自然と涙が出る
見て下さってる方、ありがとうございます。
上には上がいる
下には下がいる
桜の木の下には、死体が埋まっている
上を見てもキリがないなら、横に掘り進めるしかないのかもしれない
上を目指し続けて上っていた壁が崩れて落ちて死ぬかもしれない
捻くれた考えかもしれないけど
前や後ろだけじゃなくて、右や左を見るのも大事なのかもしれない
横断歩道を渡るときにそうしなさいって教わったのと同じ
諦めることができないと分かったのが、個人的に転機というか、
そういう人間なんだと気づいた
そういう性格なんだと思う
そういう症状なのかもしれない
続けてりゃ何かには繋がるんだよ、って、これもネットでよく見る意見
そうだろうかとも思うし、そうかもねとも思う
自分がいつまで生きていられるのか、
そういう逃げられない現実が日に日に頭にしみ付いていく
いつか死ぬって分かっている
人生何が起きるか分からないと言いつつ、これだけはもう確定なんだもんなと
がっくり来る
人に甘えられるのって、生きてるうちだけなんだよって、
親戚に言われた
親も、友達も皆そう
そんな当たり前の事にも気づけないほど濁った思考で生きてたんだなと思う
ここ数カ月、結構大変だった
人生がどうなるかの選択が沢山あったから
無理です、助けてくださいって親に、親戚に言った
泣きながらいい歳した大人が言うにはあまりにもかっこ悪い
けどそうしないと本当に無理だった
情けなかったな
助けてって言うのがこんなに難しいとは思わなかった
何から助けてほしいのか分からないくらい助けてほしかった
なんとかそれらを持ち越して今現在、という感じです
私自身がどうこうしたというより、周りに甘えて助けてもらった
これもいつか終わりが来る
そう思うと怖くて仕方ない
この世のすべてに終わりがあるって字だけ見ると魔王みたいだけど、
本当の事なんだもん、残酷である
割れたマグカップのかけらたちは今どうなってるんだろう
手の傷はもう痛くない
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